最近の私の人間観察による一つの仮説が、このタイトルの件になります。
字がきれいで、食べ方がきれいで、トイレの使い方がきれいな人って、ほぼ間違いなく人間としてできた人が多いなーと感じます。
まあ例外はもちろんありますが、それでも肌感覚ではかなりの確率でこの仮説は成り立っているような気がしています。
一つずつ説明していきましょう。
字がきれい→昔から字を書く習慣ができてる人→勉強してる人
まず字がきれいな人。これは間違いなく文字を書く行為をたくさんしてる人ですよね。字は書かないとうまくなりませんから。
どうして字を書くのかと言えば、大抵の場合は勉強するからですよね。つまり、字がきれいな人は汚い人より勉強している割合が多いと言えます。
勉強している人がしてない人よりまともな人間である確率は…まあ一般的にいって前者のほうが高いですよね。
最近はパソコンやスマホが普及し、手書きする機会がかなり減りました。
その分、たまーに見る手書きの文字がきれいな人ってかなり好印象なのは私だけでしょうか。
食べ方がきれい→マナーをきちんと教わっている人→親がきちんと躾をしている人
食事をしていると、他人の食べ方ってかなり気になるものです。
食べるときに口からクチャクチャ音がする(俗に言うクチャラー)、箸の持ち方が汚い、ご飯粒を残しまくる、姿勢が悪い、などなど。
このあたりができてない人って、親からきちんと躾をされていないんじゃないかと思うんですよね。自分じゃなかなか気づかないもんですし。
そういう基本的な躾をきちんとしてくれる家庭で育った人は、自然にいい人に育っていくと思いませんか?
トイレの使い方がきれい→人に見えないところも→裏表がない人
最後、トイレの使い方について。
当ブログではトイレについていろいろ書いていますが、トイレは人間性を如実に映し出す場所だと思っています。
トイレでおならするのは許そう。でも小便器に痰を吐くやつは許さん!
あまり表立って見えない場所である分、トイレの使い方は人間の本性が出るのではないでしょうか。
人目につかない場所をきれいに使える人は、すなわち裏表のない素直な人間である確率が高いと言えます。
まとめ
いかがだったでしょうか。結構そうだな、って思いませんか?
一つ注意ですが、「いい人だからといって必ずしも字がきれいで食べ方がきれいでトイレの使い方がきれいなわけではない」という点です。そうじゃない人だってたくさんいます。
ただ、字がきれいで食べ方がきれいでトイレの使い方がきれいな人で、私が悪いやつ・嫌なやつだと感じた人は今まで一人もいません。
まあトイレの使い方までチェックできるのはそれなりに近い関係性じゃないと難しいとは思いますが、人を判断する基準としては結構使えるのではないでしょうか。
あ、私は思いっきり人を見た目でも判断しますけどね。
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人を見た目で判断してはいけない、っていうのが理解できない。大体見た目で判断できるでしょ?